10

どうしても無意識的に自分の考え、感覚が正しいと思ってしまうんだよねぇ。色んな考えがあって、答えなんて在って無いようなものなのにね。言葉の一部に違和感を覚えてもそれは自分だけの感覚だし、相手が本当に思うこと、伝えたいことはその発信者にしか分からないからなぁ。

決め付け、思い込み。そういう固定観念みたいなものを取り払って生きたいんだが、まだまだ理解しきれていないんだねぇ、私は。感謝の気持ちが足りんね

自然体、在るがままを曇らせず受け取りたいものだ。
恐れ、弱さからのフィルターなんだろうね。

先は長いねぇ。

9

なんだろなぁ…この見下した感じは。優劣、上下とか無いんじゃないのかね?よくわからんな。苛立ちではなく違和感?何かを私は見落としていますよ、ってことですかね。

受け手の問題が多々、面は多面。
役割はそれぞれか。

求めるもののヒントですかね。
なんだろね。

気持ち悪いわ。

8

縋るものがあった方が楽なんだろうね。生きる上での指標みたいなものを自分自身にも設定すると楽な感じはありますわな。

自分はこういうもんだ。
みたいなイメージを自身に植え付け自信を得ようとする感じ?そうした方が嫌なことから目を逸らす事が出来ている気がするんでしょうね。

それを外に求めるか、内の上っ面に求めるかの違いでしかなかったんだろうな。手っ取り早く宗教とかに縋るか、自分を納得させる言い訳を設定しているか。
大して変わらないよね。嘘が嫌いと言いながら、自分に嘘をついていたのかもしれないなぁ。

自分を誤魔化さず、素直に物事を見つめて向き合いたいものだ。

7

色々と考え、気付いたつもりになったりする。そして日常では嫌悪感を抱くようなことを繰り返している。全く困ったもんですね、私は。上辺だけじゃん。

これは血なのかな、と思う部分もありますが課題なんだろう。最低な父親ですね。どうにも私は叱るということが上手く出来ないようだ、脅しのようになってしまう。
自分がそう育てられ、それを螺旋のように繰り返し繋いでしまっているらしい。

自分が過去に母親に対し感じていた理不尽さ。それを口に出せない空気と背景、不快感。片親で育ててもらっている申し訳なさ、寂しさ。私の息子にも同じような気持ちにさせているのではないか?これはよろしくないと個人的に思った。

私が子供の頃は時代的にも躾と称す体罰は日常的であった。それが良かったのかどうかは分からないが、そこから学ぶものがあったのは事実である。恐怖や痛み、理不尽な思い。何をしたら怒られるのかを学ぶことは重要ではあるが、理不尽に叱られた印象の方が多い。今思えば洗脳のようなものであったのかな。

私は基本的に手を上げることは少ないが、私があの頃感じていたように、息子にも理不尽だと思わせているのだろうか。私の両親が離婚した頃の年齢に息子も近付いてきた。父親の記憶があまりない私はどう育てるべきなのかね。

6

感情に支配されることから卒業せねばならんね。やっぱりイラつくもんはイラつくから、そこからが問題ですわね。そういう人なんだとそのまま受け止めるしかない。
左折直前急ブレーキウィンカーマンは許せんがな。

他人を無意識的にコントロールしようとしてるから腹が立つんだろう。他人の言動、行動なんて小さな現象に過ぎないわけで。風の吹き方が不規則で気に入らないとか、雨の雫の大きさが気に入らないとかにはならないからねぇ、普通に生活している上では。
それと大差ないんじゃないかなぁ、と。

特別視するのも、境界線を引くのも全て自分。

個の存在なんてそんなもんで、他人から見れば私もそんな程度の現象の一つでしかない。
それを踏まえた上で各々は世界に一つしかない貴重な存在でもある。

小であり大、有であり無。
個であり全でもあるのかな。

なんだこれ、悟った気になってる中二病みたいになっとるがな。

まぁ、自分は何ら特別でも優れてもおらず、ただの小さな存在でしかない。そして他の誰でも無く、私はわたしであると。逆もまた然り的にみんなそうだよ、と。

5

全員を救えないのならダメなんじゃないか?みたいな考えが頭の中に漠然とあったんですよね、昔から。だから宗教とかも好きじゃなかったし、産まれてすぐ殺される子供の人生の意味とは?犯罪の被害が…とかね。
それらを救うことすら出来ない、無力、神など居ない…みたいな。

なんでそういう観念に囚われてるのか、我ながら謎でもあるんですけれども。結局は意味なんて無くて、産まれたから生きているだけなのかな。
そもそも助けてくれ、救ってくれと頼まれてるわけでもないしね。

在るがままを。
ただ、なんだろうなぁ…
まぁ、所詮はね、地球規模のつまらん日本の概念でしかないんだけどさ、夫婦だったり、家族だったりさ、そういうもんに囚われてるんだろうねぇ、私は。

誰よりも信じたいから、愛って言葉に過剰反応するんだろうしねぇ。親への反発がほとんどなんでしょうけど。

他人は他人でしかないんですよね。それ以上でも以下でもなく、何かを期待するようなものでもなく。それこそ頭上を通り過ぎて行った鳥達となんら変わらないよね。

大前提としてそこを間違えないように、見失わないようにしないと全部が狂ってきちゃうんだよねぇ。
世界は自分自身を満たす為に存在してるんじゃないんだよね。自身を満たせるのは自分だけ。
自身を大切にしてあげるのは自分にしか出来ないし、誰かに求めることじゃないんだよねぇ。

自分の中にある痛みや叫びを、自分自身が聞いてあげないと始まらない。どんなに馬鹿げていようと、幼稚なことだろうと、それが等身大の自分なんだねぇ。
そこは誰の目を気にするでもなく自分自身が求めているものを理解する為に、1度深く掘り下げていかないとダメなんだろうね。認めたくない気持ちもあるかもしれないけど、それら全てが自分である、と。

そうして知った自分の求めているものを、他者にではなく自身で解決していかなければ何も変わらない。

他人や環境で自分の全てを満たそうとすることは過ちなんだよね。癒される自然環境や人物に触れ合い協力を得ることも大切なことなんだろうけど。
根本的な部分を理解しないと繰り返してしまうだけで。

まぁ、私も全然気付けていないわけですが。